子どもの頃のこと。小学校の高学年だっただろうか。その日、仲の良い友達と二人で遊んでいて、なぜか突然パンを作りたくなった。僕も友達も日常的に料理をするような子どもではなかったし、とりたててパンが好きなわけでもなかった。でもなぜかその時二人は、パンを作って食べるのがとても魅力的なことに思えた。作りたいと思ったって作り方なんか全くわからなかった。材料も知らない、道具も何一つない。
結局、「作れたらすごいなぁ」とかいいながら、実現することはなかった。
最近になって、白井ちゃんとライ麦粉と強力粉で、ダッチオーブンを使ってカンパーニュなんて焼くようになって、ふとそんな小さな思い出が蘇った。あれから30年ぐらいかかって、僕はパンを焼くこともできるようになったわけだ。子どもの頃に描いた小さな夢を叶えることができて、ヨカッタヨカッタ、大人になるってスバラシイ・・・
という可愛らしいエピソードで終わってしまっても良いのだけど、僕はどこか引っかかっていた。
だって、考えてみればパンをつくるのは酒を飲んだり、煙草を吸ったりするような年齢制限のあることではない。子どもだから作ってはいけないという法律はない。もちろん上手につくるにはそれなりの技術がいる。でも子どもだからできないというよりは、やったことがないからできないという技術で、大人だって初めてやるにはそれなりに難しいことだ。子どもだからできないという理由はない。
去年の夏、初めて参加した現代手づくり玩具館のキャンプでは、パン生地を竹の棒に巻きつけて焚き火にかざしてロールパンを焼き、ランチにした。生地をつくるのは大人のスタッフがやったけれど、巻きつけて焼くのは子どもたちだ。多少うまくできなくったって、十分に食べられるものができて、それはとても美味しく、何度も「おかわり」をした。幼児だって上手に焼いて美味しそうに食べていた。
それなのに、当時小学校高学年だった僕たちは、どうしてパンをつくることを諦めたのだろうか。
最初からできるはずがないと思っていたような気がする。自分たちだけではできなそうなときに、だれか手伝ってくれそうな大人に相談することを思いつかなかった。真面目に取り合ってくれそうな大人を知らなかった。周りにいたのかもしれない。でも、子どもだった僕たちの目には写っていなかった。どんな大人だろうと、相談すればきっと怒られる、やめさせられると思っていた。
かすかな記憶だと、結局僕らは「ホットケーキなら作れる」と思い当たった。そして、二人でホットケーキを作った・・・かどうかは、実は覚えていない。
ホットケーキは手軽だ。粉を買ってきて牛乳と卵を混ぜてフライパンで焼けばできる。想像するに、たとえ作ったとしても、たいした問題もなく、いつも食べ慣れたホットケーキができあがって、それを食べたんだろう。覚えてないのは記憶に残るほどのことが起きなかったからだ。それ以降、こういう出来事は起こらなかった。
もしも、あの時、本気でパンを作ろうとしていたらどんなことが起こっただろう。どんな失敗をして、どんなふうに大笑いして、どんな貴重な感情をみにつけただろう。
そして、僕はいつの間にか大人になって、もう一度思うのだけど、子どもたちに「パンを焼きたいんだけどどうしたらいいの?」と問われたときに果たしてどう答えるだろう。「筏を作って川を下りたいんだけどどうしたらいいの?」と問われたときは? 「飛行機を作って飛びたい」と問われたときは?
いや、その前に、そういうことを相談されるような大人というのはいったいどうすればなれるんだろう。
簡単じゃないけど、身近なことからしか始められない。だから僕たちは、失敗してもくじけずにパンを焼くんだと思う。手づくりの楽器を作って演奏してみるんだと思う。やったことがないことをやってみたら、思った以上にうまくいった時のあの興奮を僕は子どもたちに知ってもらいたい。
もしも僕が誰かに相談された時、こんなふうに答えられたらいいなと思っている。
「よし、やろう! やったことないけど」
気がつくとそれは、僕にとって合言葉みたいなものになっている。
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