2010/05/25

作ってしまった。

 息子の保育園生活には、息子が背負えるリュックサックが必要なんだそうな。他のみんなは、何かの時に作った手づくりの簡単なヤツを持っているんだそうな。というわけで、何らかの背負えるバッグが必要になった。

 …作ったろうじゃないの。いや別に手づくりで、とは言われてないんだけども。巾着のヒモ長くしたような簡単なヤツで十分なんだけども。この間店で見たら1,500円位で売ってたんだけども。

 というわけで、夜なべして作ってしまいました。想像以上の力作。我ながらすごいと思った。半端に余ってた布で作ったからちょっと足りなくて切り替えとか入れたからなおさら難しいし。私、意外と作れるんだな、布モノ。

上:薄い布なので自立はしない。ファスナー開閉。
中:裏はなかなかの力作。
下:正面はけっこうまぬけ。


2010/05/23

ふと思い出したこと

たぶん10年以上前、当時はまだ、今ほどはネット通販が当たり前でなかった頃のこと。
小さな会社で小さなネット通販事業の立ち上げに関わった。

その通信販売がスタートしてしばらくたった頃に、とある方から注文があった。

日本のインターネットの父、慶応義塾大の村井純さんだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B4%94

僕はとても興奮して、思わず「村井先生ですよね!インターネットの最先端におられる方から注文いただけるなんて光栄です!」といったような青臭いメールを出した。

そうしたら直ぐに返事が戻ってきた。
正確な内容は憶えていなくて残念だけれど、たしかこんなような感じのことが書かれていた。

いえいえ、例えばネットショップのように様々なインターネットの活用を試み、実践しているあなたのような人たちこそがこの分野の最先端にいるんですよ、と。

僕はとてもうれしくて、こんなふうな軽やかで自由で柔軟なあり方こそがインターネットの世界の魅力なんだなと思った。もちろん村井さん個人の魅力でもあるのだろうけど。

あれから時間は流れた。それこそ当時「ドッグイヤー」なんていわれていたけれど、今はどうなってしまったんだろう。

と、ふと思った。

2010/05/20

一日放送局やります!

ここ何年か企み続けていた事の一つ「放送局」実現の第一歩。
一日放送局やりますよー。場所は上桂です。
ぜひあそびにきてくださいね。

行くよ!と言う方、大谷までご連絡いただけるとうれしいです。

===
■一日放送局「ヌエストラカサ」

2010年6月5日。
普段は人が住んでる家の六畳間が、この日一日、放送局になります。
放送局って言うとちょっと大層ですが、私たちはわりと気軽に考えています。
気になる方はぜひ放送局に来て下さい。

<放送の日時>
2010年6月5日 10時から夜まで

<プログラム>
10時から12時ぐらい カフェ放送てれれ5・6月号
12時から17時ぐらい 断続的にインターネットで放送「六畳間より」
17時から18時半ぐらい カフェ放送てれれ5・6月号
18時半から心ゆくまで 松井茜さんのラーメンの映像上映などなど
(19時ぐらいから松井さんのラーメン1杯100円くらいで販売予定。
 他にも何か差し入れてもらえたらとってもうれしいです!)

<てれれ参加費>
大人500円 学生300円
※カフェ放送てれれとは、マスメディアにはないもっと身近な情報を発信しようと市民から集めた作品をカフェなどで放送する活動。

カフェ放送てれれの5・6月号番組表
http://www.terere.jp/program/2010/201005/201005.htm

<場所とアクセス>
京都府京都市西京区上桂前田町56
(阪急嵐山線上桂駅徒歩5分 上桂駅改札を出て右手へ。二つ目の信号を右折。 青い壁の建物と2台分の駐車スペースの間を入り2軒目左手)


<連絡先>
090-9985-4620 (担当:山根)
080-3442-6423 (担当:大谷)
tak@marunekodo.jp (大谷)


<主催>
ヌエストラカサ(nuestra casa)とは、スペイン語で私たちの家の意味。「私」の家が、一日だけ「私たち」の家となって発信していきます。


2010/05/19

京都市立芸大で展覧会

京都市立芸大院生の山根美緒さんと中島彩さんが展覧会をされます。

山根美緒さんの作品は、プロジェクター、立体などをもちいたインスタレーション(場所や空間全体を作品とするもの)で、マサ子と長男と僕も一部協力しています。

僕も期間中、少し顔を出そうと思っているので、興味のある方一緒に行きましょう。ご連絡ください。
tak@marunekodo.jp

なお、一緒じゃなくても行くよ、と言う方、期間中、山根さんか中島さんのどちらかは学内(ギャラリー?)におられるようですが、講義などで抜けている時間帯もあるかもしれないそうなので、とりあえず大谷までご連絡くだされば伝えます。

_____________________________
京都市立芸術大学
学内小ギャラリー
2010年5月25日(火)~5月30日(日)
10:00-17:00(最終日は2時まで)

出品者
山根 美緒 『allowing』
中島 彩  『振り返り、その影をおくる。』


小ギャラリー大学会館内1階にあります。
□キャンパスマップ(http://www.kcua.ac.jp/access/

*アクセス
http://www.kcua.ac.jp/access/
JR京都駅から
C2のりばで京阪京都交通バス 2・14・28 系統に乗車,芸大前で下車(約45分)
C5のりばで市バス73番に乗車,国道沓掛口または新林池公園で下車(約45分)
*京都駅バスターミナルはJR京都駅北側(烏丸中央口側)

阪急桂駅から
桂駅東口:
京阪京都交通バス 1・2・13・14・25・28 系統に乗車,芸大前で下車(約20分)
桂駅西口:
市バス西1または西8に乗車,新林池公園で下車(約20分)
市バス西5に乗車,新林池公園または国道沓掛口で下車(約20分)

2010/05/18

デキター!



 ついに!newコンポスト完成いたしました!じゃじゃーん。てきとーにやっているので蓋がずいぶん歪んだが、とりあえず実用に問題はあるまい。この3つを使って切り返ししながら生ごみを堆肥にしていく予定。今度は気合入れて生ごみの水切りや土を混ぜていくことも丁寧にやっていくぞ。そしてここでできたふかふかの土を使って畑を作るのだ!遠大な計画は続く…。

ちなみに、これは「ひきちガーデンサービス」さんのコレを参考にさせてもらってます。パクったとも言う…。

2010/05/16

気楽でよかった

今日(もう昨日)5月15日は現代手づくり玩具館のイベントで森のようちえんの写真家の小西貴士さんをお招きしてのスライドショー&トークショー。

僕は、準備段階でほとんど関わっていなかったのだけど、当日、進行を任されてなんとなく進行。でもトークショーの進行までやるとは思ってなくて、まったく打ち合わせなしで30人ぐらいの人の前で小西さんと二人で話をし始める。

僕は、人前で話すのはかなり苦手なので、どうしようかと思ったけど、小西さんとの僅かなやりとりから、この人ならしゃべれるかもと思って話しているうちに同じようなことを感じたり考えたりしている人だとわかってとても安心する。で、思っていること、ほとんどそのまましゃべってしまった。

自然の中で子供時代を過ごすというのはたしかに良い経験だと思う。でもだからといってそうしないと良い大人になれないとか、そうしてあげないと親として失格だとか、そういうことではないと思う。

森の中で過ごす子どもたちの写真をそれを撮った写真家当人とともに見たあとで、こんなことをしゃべってしまって「そのとおりです。気が合いそうですね」なんて言われたからちょっと驚きで、とても嬉しい。

今日は一日玩具館にいて、でも、そんな感じで仕事らしい仕事がなくて思ったことをしゃべって子どものように過ごせて、その上、とても気の合う新たな人とのつながりまで得られた。よかった。ありがとう。

小西貴士さん
http://ameblo.jp/gorilla-tarou/

2010/05/12

グチョグチョの手ぬぐい

今日 、少し調べ物をしていて、好きだった脚本家・倉本聰の言葉を見つけた。

「頭の中の手ぬぐいがグチョグチョに濡れているなら、疲れていたって絞りたくなるはずだ。この塾は、グチョグチョになっている人のための場所で、僕はその絞り方なら教えてあげられる。でも、グチョグチョになる方法なんて教えられないよ。」
(山と渓谷社『別冊山と渓谷・倉本聰の世界』。ただし、ネット上に引用されていたもので原典ではないから正確じゃない可能性もある。塾というのは富良野塾のことで、倉本聰が開いた脚本家や俳優の養成施設。)

僕にとって「グチョグチョの手ぬぐい」とは一体なんなのか、そんなことを考えた。

僕はこの数週間、前の仕事を辞めて次の仕事へ移る猶予期間のような時間を過ごしている。風邪のような風邪でないようなよくわからない体調不良状態が続いたせいもあって、無理をせずにどうしてもやらなければならないことだけをやるようにしてきた。こういう時間は、これまでなかなか取れなかった。長期休暇自体が取りにくかったし、たとえ取れたとしても、頭の中から仕事のことが抜けきることはなかった。それが今、ようやくどこからも力のかからない無重量状態として実現した。時間に追われない時間だ。

この無重量状態で放っておくと果たして僕は何をしたがるんだろうかと、この数週間、自分自身を観察してみた。時間ができたらやりたいと思っていたことはいっぱいあったから、ひょっとすると「グチョグチョに濡れた手ぬぐいを絞りたくなる」ように創作活動を始めるかもしれないという淡い期待もあった。

残念ながら現実は極めて怠惰などうしようもない状態に陥って、とてもじゃないけれど創作的なことはできなかったが、わかったことが二つあった。

まず一つ目。「何もしない」のではなく「何もできなくなる」ということ。

当初は「何もしない」ことを主体的に選んでいるつもりだけれど、途中から「何かをしようと思ってもそれが出来ない」状態になっていった。特に集中力や継続力を必要とすること、創造的なことが極端にできなくなる。

やることリスト的にやろうと思っていることはたくさん準備されているから、それらの一つひとつを認識する度に、後先を考えずに今取り掛かっていることを放棄して新しいことに手を出してしまう。その結果、すべてが中途半端になる。かろうじてやれることは単純ですでにやり方を会得していて、短期的に終えられることで、かつ明確な利得があることだけになる。多くの時間は、中途半端に作業を手にしては放り出し、手にしては放り出しを繰り返すことに費やされる。

この一つ目の発見は、過去にも同じ状況に陥ったことがあったので、すでに経験していることを確認したようなものだった。

だが、二つ目。こっちは新たな発見だった。一つ目で陥った無駄に見える時間以外の時間に、ほとんど勝手に自動的にやり続けていることがあった。それは「考え事」だ。

梅雨時に発生するカビのごとく、考え事が隙間の時間を徹底的に埋め尽くして行く。ちょっとでも頭の中に余裕がでると直ちにぐるぐると回りだし、外部から強制的に割り込みが入らない限り、自分では止めることができない。放っておいても始まってしまい、始まってしまうとやめることが極めて困難なのだ。このことは、一つ目の「何もできなくなる」ことにもつながっていて、つまり、あまりに考え事をしすぎるために、実際の行動に支障が出て、作業をどんどんと侵食していく。

思えば僕は、こういう「考え事」をこれまで低く評価していた。それは僕が、僕自身の特質を「つくる」ことに見出したがっていて、考えることはつくることに従属する手段だと思い込もうとしていたからだ。僕は「つくる人」で「考える人」ではないと。

もっとも、それには訳があって、考え事と言うのはどんどん内側に閉じていきがちで、本来なら分離すべき多くの細々とした苦痛や快楽、懸案や希望を一緒くたに絡めとって合併し肥大化させてしまう。それはとても危険だ。だからこれまで僕自身、螺旋状に気分が落ち込んでいくような状態に陥らないように細心の注意を払って考え事を制御してきた。

しかし実際は逆だった。僕にとって、つくることは考える事に従属した手段の一つに過ぎなかった。いや、今になってようやくそれを認めることができたわけで、これまでは「無理やりに」つくるための手段として考える事を強いてきた。もちろん、一般につくることと考えることは分かちがたく結びついているものだと思う。ただ、僕にとっては源泉となることはこれまで封じ込めてきた考え事の方なのだ。それを自覚した。

出力をうまく選んでやることで、考え事の螺旋降下が孕む危険性は制御することができる。また、強固な日常感覚があれば考え事が心的に深刻なダメージを与えることも回避でき、回復可能なこともわかってきた。

そうなると、つくる以外の出力手段も選ぶことができるのではないかと思えてくる。例えば、考えながら人と会って話すことでもいい。考えているということを伝えるだけでもいい。考えながら誰かの傍らに立つことだけでさえ、十分に意味のあることかもしれない。

そういうことができる場があれば僕が考えたことは、僕が何かを作らなくても実現していくだろう。僕の考え事を一部でもいいからうまく出力し実現化する手法を見つけ出すことができれば、考え事自体が、主体的に時間を費やすべき立派な生産的作業になるのかもしれない。後はどうすればそう出来るかを考えればいい。その手段はつくることにこだわらなくてもよくて、何にも縛られないアプローチをとることができる。

もちろん考え事だから、答えが出たり出なかったりするだろう。悩みが増えたりするだろう。行動を考えが追い越してしまったり、逆に出遅れたりするだろう。受け入れがたいことを受け入れざるを得なくなったりするだろう。これまで築いてきた何かを打ち壊してしまったりするだろう。でも、それでいいのかもしれない。

考え事こそが僕の「グチョグチョの手ぬぐい」で、あとは絞る方法をあれこれ考え事しよう。

2010/05/11

伊藤計劃『虐殺器官』

伊藤計劃の『虐殺器官』を読む。

タイトル通り凄惨な物語。でも同時に美しいとさえも言える言葉の物語で、著者の言葉への感覚の鋭さが伺われる。

「ぼくはことばを、リアルな手触りを持つ実体ある存在として感じていたからだ。ぼくにはことばが、人と人とのあいだに漂う関係性の網ではなく、人を規定し、人を拘束する実体として見えていた。」(文庫版42ページ)

僕より若いのに昨年死んでしまったなんて、悲しい。

2010/05/07

ごっこ遊び

保育園へ通う長男。長男は散歩が好きで、保育園でも晴れた日は散歩に行く。でも今日は雨が降っていて、雨が降ると室内の遊びになる。絵のぐりやらごっこ遊び。

長男はどうやらごっこ遊びが上手く出来ない。今年の春から保育園に通うようになった新入りだから、まだ他の子どもと一緒に遊ぶことになれていないからでしょうと保育士さんは言っていて、そのうち出来るようになるらしい。そういうもんかなと思ったけれど、ふと気がついた。

僕はごっこ遊びがとても苦手で、うまくできた記憶がない。そして今でもうまくできない。物語の登場人物になったり、何かに成り切るのが難しい。

先日、釜ヶ崎の子どもの里に行ったときに、高玉くんが里の子どもといっしょに野球のごっこ遊びをやっていた。いや、ごっこ遊びと言うほどの演技性?はないような遊びだったけれど、僕には同じように見えていて、それはとても苦手だと思っていた。

と思っていま、ごっこ遊びを調べてみたら、僕が思っていたよりも、もう少し広い概念のようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93%E9%81%8A%E3%81%B3

犬やネコになったりするのも、飛行機や電車になるのもそうなのか。
そういえば、長男はお店屋さんのごっこ遊びが大好きで、しょっちゅうやっている。

僕自身はやっぱりそれらのことが苦手だと思ったけれど。

他の多くのことと同じで、ある特定のことができたりできなかったりすることが特別大きな意味を持たないことについて考えたこと。

おまけ。真面目で面白い「電車ごっこ」の記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93

2010/05/04

連休行事、ほぼ終了

 あー盛りだくさんな連休であった。しかもまっただ中に風邪引いてしまったりして、なかなか大変ではありましたが、いろいろと面白かったです。まだうまく言葉にはならないけれど、昔の自分とは変わっていることを発見したり、新たな感覚についての認識を想像してみたり、風邪ひきで全然頭が働かないんだけれど、なんとなーく、希望を感じるご機嫌元気な気分でいられてます。

 なんだか、面白いことになってくるのかもしれないよな。

 ともかく、まずは風邪を治したい…。寝ます…。

2010/05/02

大阪へ!

 「映像のチカラ」行ってきました。といっても息子連れなので肝心の映像を見るのはハナから諦め、トークショウのみ、スタッフの皆さんを応援しに行こう!てな感じでのぞきに行っただけ。時間がちょうど息子の昼寝の時間なのが気になるが、遠いしたくさん歩いて疲れてトークショウの時間におとなしく座って休んでもらおう。

 という計算はものの見事に打ち砕かれ、息子は会場でぐでんぐでんのでろんでろん。眠すぎて変なハイテンションになって寝るどころではなく、いたずらをたしなめるとさらに加速し、強制連行には絶叫で対抗。静かな会場に息子の叫びが響きわたりました…。関係者の皆さん、申し訳ありません…。

 というわけで、1時間のトークショウさえもほとんど聞けず、息子ペースで片道2時間の道中もなかなか大変ではありましたが、それでも会場の様子を肌で感じられたのはとても良かったです。見知った顔ぶれの皆さんがこんな風に大きなイベントを作り上げているんだ、ということを実感できたし、思いがけず久々の人たちに会えたこともとても嬉しかった!

 息子も、オトナの都合に付き合わせてしまって悪かったなー、と思ったけれど、本人曰く「お父さんに会いたかったの」「電車に乗るのが面白かった」「サンドイッチおいしかった」などなど、ともかく珍しく電車でお出かけしたり外で買ったものを食べたりできたことは楽しかったようで、一安心。とはいえ、相当刺激的な一日だったようで夜泣きしてます。

 遠出に関しては、息子のできないこととできることがどんどん変わっていくので、たまに私が思い立った時には思い切って試してみないと分からないんだよなあ…。息子のしんどそうな様子を見るとさすがに胸が痛むのだけれど(しかもこっちも疲れてると怒っちゃったりして)、その後にゆったり体制でフォローできれば良い、ということにして、いろいろやってみた方がいいや、と考え始めてます。

 てなわけで、私としてはなかなか満足な一日でありました。関係者の皆さん、お疲れ様でございました!